思うところあって身辺整理をしている。
本もDVDも、本棚ごと処分するつもりで捨てたり、欲しい人に譲ったりしようとしている。衣類や諸々のジャンク、思い出がまつわるものだってどんどん捨てる。
そう思っているだけで、まだ実際には我が家から物々どもが姿を消していないあたりが歯がゆいのだが。ものを捨てるにも分別と段取りと金銭が要る社会だ。
「漫画家時代の一部不愉快な記憶と仕事はどの袋に入れて何曜日に出すのでしょう?」
武蔵野市のウェブサイトはこたえてくれない。 物を持っていること、物ものに囲まれていることにうんざりしてきた。
「持ってたってしょーがねえよ!」
長年の長髪を坊主頭にしたのと同じく、あまりに毎日暑いから身の回りを少しでもスッキリさせたいという気もある。
いつか、私に限らず誰かのためになるかと思って抱え込んでいた物々だが、もういいや。知ったこっちゃない。捨て捨て捨て捨て!
「捨て神様」降臨。
我が家では思い切って物たちを処分する気になることをそう呼んでいる。
年末の大掃除の時期でもないのに私に取り付いてくれたようだ。
しかも捨て神様の中でも精鋭だぞ、これは。捨て神様海兵隊。それじゃ規律に危険がいっぱいか。
どんどんどんどん物を処分していると、捨て神様は加速するようでいっそう捨てることに快感を覚えるようになる。
私まで生ゴミに出されそうな勢いだ。
入るゴミ袋がなさそうだが。 捨てる衣類は黒の山だ。いつの頃からか無彩色ばかり身につけるようになったな…おお、四半世紀に渡る確定申告の書類!歯抜けの年度もあるが近年はけっこう頑張って働いていたじゃないか!…それに比べて昔は……などと感慨や感傷や鑑賞にふけっている場合じゃない。そんな気分さえゴミ袋に流し込むのだ。
あばよ。
自室の6畳間のみならず、廊下や寝室まで占拠していた多くの単行本も新書も文庫もごくごく一部を除いて処分。後輩、後進たちにとっても面白い本や役立つであろう本は多々あるが、年齢が違えば全然異なる現在があるのだろうし。同じものに興味を持てというのも無理だわな。本当は少しくらい「お節介」な真似もしたかったが、捨て神様に従うことにした。
私は多くのものを抱えてドンと構えていられるような器でも金持ちでもない。何せ人間的スケールは自室同用6畳がいいとこだ。日本人としてちょうどいいですよ。あ、その割に布団のサイズに困るが。図体がでかいのはちょいと恥ずかしい。 大きなところではお気に入りのマッサージ “ガンダム”チェアも処分した。
これは茶の間に新たに導入するものがあったせいで、半ば仕方のない処分だったのだが、捨ててみると(といっても、ある関係先に引き取ってもらったのだが)何とスッキリしたことか。処分に少々の金銭がかかることもやむを得まい。
何、もしかいつか欲しくなったら、その時また手にいれればいいだけのことだ。その頃にはもっといいものに進歩しているに違いないし。 そう、すべてはそうなのだ。
そんな簡単なことに気づかなかったなんて。
二度と手に入らない物なんて、そうあるわけじゃない。 命と思い出、大切な家族や大事な友人は失われたら回復しようはない。
しかし物たちのほとんどは、まったく同じでないにせよ同じような満足をもたらせてくれるものにはこの先にだって出合えるような気がする。
これまでだってそうだったんだし。
その時どれだけ大切に思えたようなかけがえのないものだって、旬を過ぎれば優先度は下がってくる。それは何も飽きたのではなく血肉化したからだろう。そう思いたい。必要なものはすでに血や肉として携えらている。
私の脳や身体に蓄えられた物の考え方、価値観、長い時間かけて訓練された技術などは捨てようにも捨てられないし、だいたい何のゴミに分別するべきか(笑) 私にはコレクター的な嗜好はないようだ。
物への愛も非常に薄いらしい。
昔、ムーンライダースがアルバム「アマチュアアカデミー」の中で「ものに対する愛」というフレーズを歌っていて、いまだに印象的なのだが、どーもそーゆーアイには縁遠いらしいのでR。
私の演出的淡白さも根が同じような気もするので少し残念な気もするが、こだわりは少ない方が生きるにはこれも楽だろう。
私はディテールに拘ると思われがちだが、どちらかというとディテールそのものよりもそれらの密度に傾斜しやすいのではないかと思われる。
枯れ木も山の賑わいが好きというか(笑)
だから自宅も仕事場も、大して重要でもないものがその数だけ増大させるというか。多分そうだな。 本もDVDも見返したり読み返したくなったらその時また手にいれればいい。
どうしても傍に置いておきたいものなんてそんなに数があるわけじゃないんだ、と改めて思い知らされている次第である。 しかしまぁ、呆れるほど狭いスペースに物を溜め込んでいたことだよ。まるでパズルだ。
それにも事情はあるのだが、その点についてはまた稿を改めるとして、私にとって「どうしても手元に置いておきたい大切な物たち」とはどんなものだろう?
先にも触れたが、まことに重要なものとは自分の命とこれまでに身につけて来た考え方や思い出、技術やセンスといったものであり、それに家族や友人がまさに掛け替えのないものだ。
他に何が要るだろう? 次回はそんなことを具体的に考えてみるかな。
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忘れもしない今年の5月18日。
武蔵野赤十字病院、循環器科の医師から次のような宣告を受けた。
「膵臓ガン末期、骨の随所に転移あり。余命長くて半年」
妻と二人で聞いた。二人の腕だけでは受け止められないほど、唐突で理不尽な運命だった。
普段から心底思ってはいた。
「いつ死んでも仕方ない」
とはいえあまりに突然だった。 確かに兆候はあったと言えるかもしれない。その2~3ヶ月前から背中の各所、脚の付け根などに強い痛みを感じ、右脚には力が入らなくなり、歩行にも大きく困難を生じ、鍼灸師やカイロプラクティックなどに通っていたのだが、改善されることはなく、MRIやPET-CTなどの精密機器で検査した結果、いきなりの余命宣告となった次第である。
気がつけば死がすぐ背後にいたようなもので、私にはどうにも手の打ちようもなかったのだ。 宣告の後、生き延びるための方法を妻と模索してきた。それこそ必死だ。
頼もしい友人や強力この上ない方の支援も得てきた。抗ガン剤は拒否し、世間一般とは少々異なる世界観を信じて生きようとした。「普通」を拒否するあたりが私らしくていいような気がした。どうせいつだって多数派に身の置き所なんかなかったように思う。医療についてだって同じだ。現代医療の主流派の裏にどんなカラクリがあるのかもあれこれ思い知った。
「自分の選んだ世界観で生き延びてやろうじゃないか!」
しかし。気力だけではままならないのは作品制作とご同様。
病状は確実に進行する日々だった。 一方私だって一社会人として世間一般の世界観も、半分くらいは受け入れて生きている。ちゃんと税金だって払ってるんだから。立派には縁遠いが歴とした日本社会のフルメンバーの1人だ。
だから生き延びるための私的世界観の準備とは別に、
「ちゃんと死ぬための用意」
にも手を回してきたつもりだ。全然ちゃんと出来なかったけど。
その一つが、信頼のおける二人の友人に協力してもらい、今 敏の持つ儚いとはいえ著作権などの管理を任せる会社を作ること。
もう一つは、たくさんはないが財産を円滑に家内に譲り渡せるように遺言書を作ることだった。無論遺産争いがこじれるようなことはないが、この世に残る妻の不安を一つでも取り除いてやりたいし、それがちょいと向こうに旅立つ私の安心に繋がるというもの。 手続きにまつわる、私や家内の苦手な事務処理や、下調べなどは素晴らしき友人の手によってスピーディに進めてもらった。
後日、肺炎による危篤状態の中で、朦朧としつつ遺言書に最後のサインをしたときは、とりあえず、これで死ぬのも仕方ないと思ったくらいだった。
「はぁ…やっと死ねる」
なにしろ、その二日前に救急で武蔵野赤十字に運ばれ、一日おいてまた救急で同じ病院へ運ばれた。さすがにここで入院して細かい検査となったわけだ。結果は肺炎の併発、胸水も相当溜まっている。医師にはっきり聞いたところ、答えは大変事務的で、ある意味ありがたかった。
「持って…一日二日……これを越えても今月いっぱいくらいでしょう」
聞きながら「天気予報みたいだな」と思ったが事態は切迫していた。
それが7月7日のこと。なかなか過酷な七夕だったことだよ。 ということで早速腹はきまった。
私は自宅で死にたい。
周囲の人間に対して最後の大迷惑になるかもしれないが、なんとしてでも自宅へ脱出する方法をあたってもらった。
妻の頑張りと、病院のあきらめたかのような態度でありつつも実は実に助かる協力、外部医院の甚大な支援、そして多くの天恵としか思えぬ偶然の数々。
あんなに上手く偶然や必然が隙間なくはまった様が現実にあるとは信じられないくらいだ。「東京ゴッドファーザーズ」じゃあるまいし。 妻が脱出の段取りに走り回る一方、私はと言えば、医師に対して「半日でも一日でも家にいられればまだ出来ることがあるんです!」と訴えた後は、陰気な病室で一人死を待ち受けていた。
寂しくはあったが考えていたのはこんなこと。
「死ぬってのも悪くないかもな」
理由が特にあるわけもなく、そうとでも思わないといられなかったのかもしれないが、気持ちは自分でもびっくりするほど穏やかだった。
ただ、一つだけどうしても気に入らない。
「この場所で死ぬのだけは嫌だなぁ…」
と、見ると壁のカレンダーから何か動き出して部屋に広がり始めるし。
「やれやれ…カレンダーから行列とはな。私の幻覚はちっとも個性的じゃないなぁ」
こんな時だって職業意識が働くものだと微笑ましく感じたが、全くこの時が一番死の世界に近寄っていたのかもしれない。本当に死を間近に感じた。
死の世界とシーツにくるまれながら、多くの人の尽力のおかげで奇跡的に武蔵野赤十字を脱出して、自宅に辿り付いた。
死ぬのもツライよ。
断っておくが、別に武蔵野赤十字への批判や嫌悪はないので、誤解なきよう。
ただ、私は自分の家に帰りたかっただけなのだ。
私が暮らしているあの家へ。 少しばかり驚いたのは、自宅の茶の間に運びこまれるとき、臨死体験でおなじみの「高所から自分が部屋に運ばれる姿を見る」なんていうオマケがついたことだった。
自分と自分を含む風景を、地上数メートルくらいからだろうか、ワイド気味のレンズで真俯瞰で見ていた。部屋中央のベッドの四角がやけに大きく印象的で、シーツにくるまれた自分がその四角に下ろされる。あんまり丁寧な感じじゃなかったが、文句は言うまい。 さて、あとは自宅で死を待つばかりのはずだった。
ところが。
肺炎の山を難なく越えてしまったらしい。
ありゃ?
ある意味、こう思った。
「死にそびれたか(笑)」
その後、死のことしか考えられなかった私は一度たしかに死んだように思う。朦朧とした意識の奥の方で「reborn」という言葉が何度か揺れた。
不思議なことに、その翌日再び気力が再起動した。
妻を始め、見舞いに来て気力を分け与えてくれた方々、応援してくれた友人、医師や看護師、ケアマネージャなど携わってくれている人すべてのおかげだと思う。本当に素直に心の底から。 生きる気力が再起動したからには、ぼんやりしているわけにはいかない。
エクストラで与えられたような命だと肝に命じて、大事に使わねばならない。
そこで現世に残した不義理を一つでも減らしたいと思った。
実はガンのことはごくごく身の回りの人間にしか伝えていなかった。両親にも知らせていなかったくらいだ。特に仕事上においては色々なしがらみがあり、言うに言えなかった。
インターネット上でガンの宣言をして、残りの人生を日々報告したい気持ちもあったのだが、今 敏の死が予定されることは、小さいとはいえ諸々影響が懸念されると思えたし、それがゆえに身近な知り合いにも不義理を重ねてしまっていた。まことに申し訳ない。 死ぬ前にせめて一度会って、一言でも挨拶したい人はたくさんいる。
家族や親戚、古くは小中学校からの友人や高校の同級生、大学で知り合った仲間、漫画の世界で出会い多くの刺激を交換した人たち、アニメの世界で机を並べ、一緒に酒を飲み、同じ作品で腕前を刺激しあい、楽しみも苦しみも分け合った多くの仲間たち、監督という立場のおかげで知り会えた数知れないほどたくさんの人びと、日本のみならず世界各地でファンだといってくれる人たちにも出会うことが出来た。ウェブを通じて知り合った友人もいる。 出来れば一目会いたい人はたくさんいるが(会いたくないのもいるけれど)、会えば「この人ともう会えなくなるんだな」という思いばかりが溜まっていきそうで、上手く死を迎えられなくなってしまいそうな気がした。回復されたとはいえ私に残る気力はわずかで、会うにはよほどの覚悟がいる。会いたい人ほど会うのがつらい。皮肉な話だ。
それに、骨への転移への影響で下半身が麻痺してほぼ寝たきりになり、痩せ細った姿を見られたくもなかった。多くの知り合いの中で元気な頃の今 敏を覚えていて欲しいと思った。
病状を知らせなかった親戚、あらゆる友人、すべての知人の皆さん、この場を借りて不義理をお詫びします。でも、今 敏のわがままも理解してやっていただきたい。
だって、「そういうやつ」だったでしょ、今 敏って。
顔を思い出せば、いい思い出と笑顔が思い起こされます。
みんな、本当にいい思い出をたくさんありがとう。
自分の生きた世界を愛している。
そう思えることそのものが幸せだ。 私の人生で出会った少なからぬ人たちは、肯定的否定的どちらであっても、やっぱり今 敏という人間の形成にはどこか必要だっただろうし、全ての出会いに感謝している。その結果が四十代半ばの早い死であったとしても、これはこれとして他ならぬ私の運命と受け止めている。いい思いだって随分させてもらったのだ。
いま死について思うのはこういうこと。
「残念としかいいようがないな」
本当に。 しかし、多くの不義理は仕方ないと諦めるにせよ、私がどうしても気に病んで仕方なかったことがある。
両親とマッドハウス丸山さんだ。
今 敏の本当の親と、アニメ監督の親。
遅くなったとはいえ、洗いざらい本当のことを告げる以外にない。
許しを乞いたいような気持ちだった。 自宅に見舞いに来てくれた丸山さんの顔を見た途端、流れ出る涙と情けない気持ちが止めどなかった。
「すいません、こんな姿になってしまいました…」
丸山さんは何も言わず、顔を振り両手を握ってくれた。
感謝の気持ちでいっぱいになった。
怒涛のように、この人と仕事が出来たことへの感謝なんて言葉ではいえないほどの歓喜が押し寄せた。大袈裟な表現に聞こえるかもしれないが、そうとしか言いようがない。
勝手かもしれないが一挙に赦された思いがした。 一番の心残りは映画「夢みる機械」のことだ。
映画そのものも勿論、参加してくれているスタッフのことも気がかりで仕方ない。だって、下手をすればこれまでに血道をあげて描いて来たカットたちが誰の目にも触れない可能性が十分以上にあるのだ。
何せ今 敏が原作、脚本、キャラクターと世界観設定、絵コンテ、音楽イメージ…ありとあらゆるイメージソースを抱え込んでいるのだ。
もちろん、作画監督、美術監督はじめ、多くのスタッフと共有していることもたくさんあるが、基本的には今 敏でなければ分からない、作れないことばかりの内容だ。そう仕向けたのは私の責任と言われればそれまでだが、私の方から世界観を共有するために少なからぬ努力はして来たつもりだ。だが、こうとなっては不徳のいたすところだけが骨に響いて軋んだ痛みを上げる。
スタッフのみんなにはまことに申し訳ないと思う。
けれど少しは理解もしてやって欲しい。
だって、今 敏って「そういうやつ」で、だからこそ多少なりとも他とはちょっと違うヘンナモノを凝縮したアニメを作り得てきたとも言えるんだから。
かなり傲慢な物言いかもしれないが、ガンに免じて許してやってくれ。 私も漫然と死を待っていたわけでなく、今 敏亡き後も何とか作品が存続するべく、ない頭を捻って来た。しかしそれも浅知恵。
丸山さんに「夢みる機械」の懸念を伝えると、
「大丈夫。なんとでもするから心配ない」
とのこと。
泣けた。
もう号泣。
これまでの映画制作においても予算においても不義理ばかり重ねて来て、でも結局はいつだって丸山さんに何とかしてもらって来た。
今回も同じだ。私も進歩がない。
丸山さんとはたっぷり話をする時間が持てた。おかげで、今 敏の才能や技術がいまの業界においてかなり貴重なものであることを少しだけ実感させてもらった。
才能が惜しい。何とかおいていってもらいたい。
何しろザ・マッドハウス丸山さんが仰るのだから多少の自信を土産に冥途に行けるというものだ。
確かに他人に言われるまでもなく、変な発想や細かい描写の技術がこのまま失われるのは単純に勿体ないと思うが、いた仕方ない。
それらを世間に出す機会を与えてくれた丸山さんには心から感謝している。本当ににありがとうございました。
今 敏はアニメーション監督としても幸せ者でした。 両親に告げるのは本当に切なかった。
本当なら、まだ身体の自由がきくうちに札幌に住む両親にガンの報告に行くつもりだったが、病気の進行は悔しいほど韋駄天で、結局、死に一番近づいた病室から唐突極まりない電話をすることになってしまった。
「オレ、膵臓ガン末期でもうすぐ死ぬから。お父さんとお母さんの子供に生まれて来て本当に良かった。ありがとう」
突然聞かされた方は溜まったものではないだろうが、何せその時はもう死ぬという予感に包まれていたのだ。 それが自宅に帰り、肺炎の危篤を何とか越えて来た頃。
一大決心をして親に会うことにした。
両親だって会いたがっていた。
しかし会えば辛いし、会う気力もなかったのだが、どうしても一目親の顔を見たくなった。直接、この世に産んでもらった感謝を伝えたかった。
私は本当に幸せだった。
ちょっと他の人より生き急いでしまったのは、妻にも両親にも、私が好きな人たちみんなに申し訳ないけれど。
私のわがままにすぐ対応してくれて、翌日には札幌から両親が自宅についた。
寝たきりとなった私を一目見るなり母が言った言葉が忘れられない。
「ごめんねぇ!丈夫に産んでやれなくて!」
何も言えなかった。 両親とは短い間しか過ごさなかったが、それで十分だった。
顔を見れば、それですべてわかるような気がしたし、実際そうだった。 ありがとう、お父さん、お母さん。
二人の間の子供としてこの世に生を受けたことが何よりの幸せでした。
数えきれないほどの思い出と感謝で胸がいっぱいになります。
幸せそのものも大事だけれど、幸せを感じる力を育ててもらったことに感謝してもしきれません。
本当にありがとうございました。 親に先立つのはあまりに親不孝だが、この十数年の間、アニメーション監督として自分の好きに腕を振るい、目標を達成し、評価もそれなりに得た。あまり売れなかったのはちょいと残念だが、分相応だと思っている。
特にこの十数年、他人の何倍かの密度で生きていたように思うし、両親も私の胸のうちを分かってくれていたことだろう。 両親と丸山さんに直接話が出来たことで、肩の荷が下りたように思う。 最後に、誰よりも気がかりで、けれど最後まで頼りになってくれた妻へ。
あの余命宣告以来何度も二人で涙にくれた。お互い、身体的にも精神的にも過酷な毎日だった。言葉にすることなんて出来ないくらい。
でも、そんなしんどくも切ない日々を何とか越えて来られたのは、あの宣告後すぐに言ってくれた力強い言葉のおかげだと私は思っている。
「私、最後までちゃんと伴走するからね」
その言葉の通り、私の心配など追い越すかのように、怒濤のごとく押し寄せるあちらこちらからの要求や請求を交通整理し、亭主の介護を見よう見まねですぐに覚え、テキパキとこなす姿に私は感動を覚えた。
「私の妻はすごいぞ」
今さらながら言うな?って。いやいや、今まで思っていた以上なんだと実感した次第だ。
私が死んだ後も、きっと上手いこと今 敏を送り出してくれると信じている。
思い起こせば、結婚以来「仕事仕事」の毎日で、自宅でゆっくり出来る時間が出来たと思えばガンだった、ではあんまりだ。
けれど、仕事に没頭する人であること、そこに才能があることを間近にいてよく理解してくれていたね。私は幸せだったよ、本当に。
生きることについても死を迎えるにあたっても、どれほど感謝してもしきれない。ありがとう。 気がかりなことはもちろんまだまだあるが、数え上げればキリがない。物事にも終わりが必要だ。
最後に、今どきはなかなか受け入れてもらいにくいであろう、自宅での終末ケアを引き受けてくれた主治医のH先生、そしてその奥様で看護師のKさんに深い感謝の気持ちをお伝えしたい。
自宅という医療には不便きわまりない状況のなか、ガンの疼痛をあれやこれやの方法で粘り強く取り除いていただき、死というゴールまでの間を少しでも快適に過ごせるようご尽力いただき、どれほど助けられたことでしょう。
しかも、ただでさえ面倒くさく図体と態度の大きな患者に、単なる仕事の枠組みをはるかに越え、何より人間的に接していただいたことにどれほど私たち夫婦が支えられ、救われたか分かりません。先生方御夫婦のお人柄にも励まされることも多々ありました。
深く深く感謝いたしております。 そして、いよいよ最後になりますが、5月半ばに余命宣告を受けてすぐの頃から、公私に渡って尋常ではないほどの協力と尽力、精神的な支えにもなってくれた二人の友人。株式会社KON’STONEのメンバーでもある高校時代からの友人Tと、プロデューサーHに心からの感謝を送ります。
本当にありがとう。私の貧相なボキャブラリーから、適切な感謝の言葉を探すのも難しいほど、夫婦揃って世話になった。
2人がいなければ死はもっとつらい形で私や、そばで看取る家内を呑み込んでいたことでしょう。
何から何まで、本当に世話になった。
で。世話になりついでですまんのだが、死んだあとの送り出しまで、家内に協力してやってくれぬか。
そうすりゃ、私も安心してフライトに乗れる。
心から頼む。 さて、ここまで長々とこの文章におつき合いしてくれた皆さん、どうもありがとう。
世界中に存する善きものすべてに感謝したい気持ちと共に、筆をおくことにしよう。 じゃ、お先に。 今 敏
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知識や知性には段階がある。 ところが、このステップに乗り遅れる者もいる。 だが、そのすべてが誤りである。 「xとyが比例するとは、どういう関係?」 そのすべてが誤りである。 この言葉の使用は、「本当に頭の良い人」という架空の概念を用いることで、「わからない」という避けがたい事態の原因を、「自分の能力の低さ」から「相手の能力の低さ」へと移行させるための、よく用いられる手続きに他ならない。 彼らが漠然とイメージする「本当に頭の良い人」とは、せいぜい彼らに日常的な算数(おつりの工夫のしかた)や、たかが知れた四字熟語(『同語反復』など)を、彼らにもわかりやすく教えられるような程度の人物にしか過ぎない。
誰も生まれたてで掛け算などできないのと同様、掛け算ができなければ高校の微分積分はできないだろうし、高校の微分積分ができなければ大学の解析学はできない。
少しずつステップアップすることによって、高度なものを「難しい」と感じることなく理解することができるようになっていく。
脱落してしまった彼らは口々にこう叫ぶ。
「本当に頭の良い人は、誰にでもわかる言葉を使う」
「頭の悪い人に限って、知識を見せびらかそうとして難しい言葉を使う」
と聞かれて、もっとも簡潔に答えるなら、
「y=ax(aは定数)が成立するようなxとyの関係。」
と答えるのが一番「わかりやすく」、明示的である。
ただ、この際、中学校の数学レベルについてきていない者は「もっと具体的に」などと言い出すわけである。そこでグラフを描いて見せたり、購入したりんごの数と値段との間に成立するある種の摩訶不思議な関係について解説してみせたりなどすると、「最初からそういえばいいのに」といった態度を取る。ひどい場合には「わざと難しく言った」といった被害者意識まで持つのだ。
高校教師や予備校教師が「あの先生の授業、わからない!」と言われる場合にもしばしば該当する。
自分が理解できる範囲だけが真実なのではない。
— 本当に頭の良い人はわかりやすく書く - 名言と愚行に関するウィキ (via tsundere) (via nagas) (via stratums, sirchronofrost)
2009-08-11 (via gkojay) (via ssbt) (via vevev) (via glasslipids) (via laurierplus) (via makototz) (via ittm) (via fishandmush) (via aspara) (via ag107) (via kanpo0324) (via motomocomo)
酒井法子被告にとって好印象の初公判を指摘する声が上がる一方、「保釈後の会見を分析したところウソのオンパレードだった。法廷では反省の色を示していたが、人間はすぐには別人格にはなれない」と厳しい指摘をするのは日大芸術学部研究所教授(パフォーマンス学専攻)の佐藤綾子さん。 保釈会見では(1)鼻をすする際に、鼻の付け根にある筋肉を動かしているのに、涙が出ていなかった(2)普段の会話にはない文語的な言い回し(3)降壇する際も足の筋肉に力が入っていた--などの「反省とはほど遠い点があった」。また、初公判も「粛々と筋書き通りに行っただけ」とした。
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酒井法子被告に手厳しい専門家「すぐには別人格になれない」(芸能) ― スポニチ Sponichi Annex ニュース (via kogure)
専門家の目の付け所って、すげーな。
勉強したい。
文書は22日付で、各府省に送付され、「総理答弁等にふさわしい格調高い表現にしてください」「質問の趣旨を的確に踏まえた完結な内容に」などと、答弁用の原稿について細かく指示している。
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時事ドットコム:国会答弁は官僚頼み?=原稿作成を各省に指示-首相官邸
そりゃ、答弁が「完結」してなかったら困るだろうよw
この急降下ぶりにびびった-雇用失業情勢【緊急雇用対策本部】 - 隠フェミニスト記(仮)
酷いグラフだ。
何が酷いって、作り方が酷い。
作った奴は小学校からやり直して欲しい。
こんなものは資料とは言わない。
参考イラストだ。
この記事を見ていて、某所で聞いた話を思い出した。 某所で、高速道路4車線化に関する話を聞いたんですが、そのときとある政党の関係者がこんな発言をしていた。 * 一部の高速道路では、未だに対面通行がされていると聞くが、そんなに騒ぐほどの物なのか? なのだそうで・・・。この関係者は高速道路の対面通行がどんなに危険な物なのか、ご存じない様子。 たとえば、こんなのや、こんなのが高速道路の対面通行。真ん中にポールが有ったり、中央分離帯が有るのはまだ良い方で、まだまだ、県道や市道と同じように、ただ線が塗られているだけの状態になっている道路も数々ある。 政権を取って、浮かれる気持ちも分からないではないが、地元(国民)の意見を聞かずに、前政権下で行われたような貸しはがしや貸し渋りの様なことをやって、国民の支持が得られると、本気で思ってるんでしょうかね?
* たとえば、四国の場合だと680億円もの巨額を投じて、4車線化する必要があるようには思えない
* 約700億円と言えば、かなりの人たちの生活を潤わせることが出来る。そんな巨額、使わせるわけにはいかないよ。
* 人間、一人死んだところで、たった2億。350人分にあたるよね。そんなに人がそこで死ぬとは思えないよね。
* だから、私は今回の4車線化には反対なんだよ。ま、そのうち新聞とかに出るだろうから、気長に待って居てよ。
—
「この記事」ってのはコレね。
社民党の重野安正幹事長は8日の定例会見で、民主党の小沢一郎幹事長が6日の与党幹事長会談の席上、官僚が閣僚などの政治家に代わり国会で答弁する「政府参考人制度」を廃止する国会法改正の必要性を強調したことに「あえて法律を変えてまで役人の答弁を禁止することは、多様な言論を担保する国会の場においていかがなものかとの思いがある」と述べた。党として慎重に対処する方針を示した発言だ。 8日に開かれた社民党の三役会議の中でも「(国会法改正は)おかしい」との意見が相次ぎ、重野氏は「今後党内で議論して、結論を出す」としている。
—
社民・重野幹事長、官僚答弁廃止「いかがなものか」 - MSN産経ニュース
頼らないとナンも出来ねぇ、という事に今更気付いた模様。
台風18号の接近に伴い、暴風警報が発令される可能性があります。台風接近に伴う暴風警報が発令された場合には、授業休止の取り扱い基準に従います。
—
暴風警報発令時の10月8日(木)の授業の扱いについて|龍谷大学(りゅうこくだいがく)
どうでもいいっちゃどうでもいいんだが、
最近は大学で教えることを「講義」とは言わなくなったんだな。
なんか、大学生ってますます甘やかされてるイメージ。
中高生と扱い変わらん、みたいな。